△典型的な115系湘南色。
直流近郊型車両としては、先に111系が登場していたが、この111系は主電動機がMT46(出力100kw)というものを用いており非力であった。そこで、主電動機をMT54(出力120kw)に変更した形式が113系なわけだが、さらに、耐雪・抑速ブレーキを装備したのが本系列である。
ものすごく端的に言うと、113系の寒地用・山岳路線バージョンが115系です。
115系は本州の新潟以南に広範囲に投入され、改造も多く行われたため、数多くの形式が登場している。本ページでは、私が写真を撮影した形式を述べていきます。
115系の基本番台。初期型はデカ目、非ユニット窓である。111系や113系0番台とは異なり、ベンチレータは押し込み式を装備するため、純正の115系にグロベンは存在しない。当初はデカ目で落成したものの、のちにシールドビーム化され、現在JR西日本車ではデカ目は消滅している。
△下関区特有のチクビ化された元デカ目車のクハ115-191。
元となったシールドビームは、廃車発生品らしい。
△シールドビーム改造をとなったクハ115-165。タイフォンの位置が少し低い。
北陸トンネル火災事故を教訓に、車内に難燃化素材を使用した。他にも、製造当初からAU75Gクーラーによって冷房化されていることや、側面の窓がユニットサッシとなっているなど、115系の超標準車ともいえる形式。
一見1000番台や2000番台と見間違えそうだが、窓割りは0番台と同じであり、奇数向きクハにもトイレが設置されている点、トイレの窓が大型である点などで区別できる。
△ベンチレーター残存車の300番台。
近年、下関区では、ベンチレータの撤去と、LEDテールライトへの交換が盛んである。
△モハの車端部。左端のちょっと切れているのが戸袋窓。
下関区に所属していた、2両編成の115系。モハの若番車に廃車クハの先頭部分をくっつけたもので、「T編成」を名乗っていた。
種車の車齢が高く老朽化も進んでいたためか、8両すべてが廃車となり形式消滅。
内装は木目調でそれなりにリッチ感を演出していたが、効きの悪い冷房、シートピッチを拡大したためか省略されたドア周辺のロングシート、謎の巨大な機器室など、乗っている側からしてみればかなりの異端ぶりを発揮していた。
△非ユニット窓が目立つ115系550番台。
方向幕も後付けであるため、変な位置にある。
1983(昭和58)年に岡山地区の短編成化に伴い誕生した形式。クハ111-300からの改造で、主幹制御器(マスコン)の交換とドアの半自動化を施した。そのほかは種車の特徴を残している。
他にもサハ115の先頭化改造車や、冷房化促進のための追加改造車など、バラエティーに富むラインナップとなっている。
上の写真のクハ115-604(種車:クハ111-380)はWAU102による冷房化と、113系クハ改造編入の特徴として、グロベン残置という、115系らしからぬ風貌であった上に、唯一の115系福知山色であり、異彩を放っていたが、現在は広島リニュ色に塗り替え済み。
真ん中の写真のクハ115-608(種車:サハ115-7)は、同じく1983年の広島地区の頻発運転に伴う先頭車不足の解消のために改造された車両。
下の写真のクハ115-622(種車:クハ111-5436)は冷房化促進のための追加改造車。岡山時代に謎の屋根張り上げ化改造を受けており、カオスな115系600番台の中でもひと際目立っている。
△晴天の下をゆくクハ115-604。
△クハ115-608。153系と同じ、AU13Eによる冷房化により、分散クーラーとなっている。
△N40の布石なのか、屋根の張り上げ化で目立つクハ115-622。
115系300番台のシートピッチ拡大&耐寒装備車で、モハ・クモハ車端部の雪切室が特徴的なグループ。300番台以来の新製車で、この系列から車単部の戸袋窓などの窓割が変更されている。また、トイレの窓も小型となり、トイレのないクハ(クハ115-1100)が製造された。
新潟や高崎、長野などの山岳地帯・豪雪地帯を始め、岡山や広島など、直流区間に対しては全国的に配備された。
△高崎区の1000番台4連では珍しい、サハ組み込み編成。
△濃淡グリーンが特徴の2代目新潟色。
△さわやかな青色の三代目新潟色
△JR西日本のN40体質改善車。
外観からは、塗装変更、屋根の張り上げのほか、サッシの交換、フロントガラスの交換、ベンチレータ撤去など、
車内では転換クロスシートへの交換、蛍光灯カバーの設置など、新車と見間違うレベルの改造を施している。
△JR西日本による体質改善車のうちの「広島リニュ色」。
上のN40よりも若干メニューが省略されたN30工事施行車。
JR西日本標準のリニュ色とは異なり白基調で裾に茶色の帯が入る。
舞鶴線電化に伴い、1000番台のクモハ+モハユニットから改造されたタイプ。JR西日本にのみ所属。主な改造はモハ114の先頭化改造で、切妻の先頭部分が取り付けられ、異彩を放っている。外観上、張り上げ屋根にアルミサッシ、リニュ色と、N40工事施工車のように見えるが、内装は従来と変わらぬセミクロスシートである。ただし、N40工事が施工されていないわけではなく、クモハ115にはトイレが設置され、ワンマン運転にも対応している。
舞鶴線への223系5500番台投入に伴い、下関区へ転属。同区の115系550番台を置き換えた。
当初は高速化対応工事が施され、車番は+5000され、6000・6500番台となっていたが、下関区へ転属後、高速化工事は解除され、1000・1500番台に戻っているほか、電気連結器の撤去、ワンマン機器の撤去を行っている。
△JR西日本標準リニュ色。
クモハ115側は目立った外観の変更はない。
△広島リニュ色のT-11編成。
ダブルパンタを搭載しているが、何より目立つのはその切妻状の先頭形状である。
旧型車置き換えを目的に、1977(昭和52)年から、1000番台と変更して投入されたグループ。1000番台の暖地仕様ともいうべき車両で、1000番台の特徴であった車端の雪切室はなく、サハの設定もない。当初は広島地区と身延線に投入され、殊に身延線のワインレッドに白い帯の「身延線色」は、国鉄初の地方色として有名である。のちに、転配により耐寒工事施工の上、新潟に配属となった車両もあり、意外と広範囲に配備されている模様。
△広島N40色。広島地区のN40車はすべて2000番台である。
広島地区出身の私にはありふれた車両であったが、全国的にみるとまさしく広島地区にしか存在しないレアなグループ。
側面は117系チックな2ドアとなり、室内は転換クロス装備、と意外と豪華である。国鉄初の1編成あたりモハユニットが1組ということもあり、冗長性確保の観点からモハ114はダブルパンタとなっている。全車JR西日本所属だが、N40工事が施工された車両はなく、すべてN30工事の施工となっている。
塗装の変遷も多く、瀬戸内色→広島快速色→広島N30色→黄色となっている。
一部のクハは3500番台のモハと編成を組むため、モハユニット12組に対してクハ115-3000と3100は21組と、クハの方が多い。
△3500番台と編成を組む、セキN-21編成(クハ115-3021)。
同編成は最後まで残った広島快速色である。
△一時期、3000番台の瀬戸内色は消滅したが、のちに4両のみ復活。
写真のクハ115-3113は2000番台のモハとセキC-20編成を組成。
1991(平成3)年の221系増備による、JR琵琶湖、JR京都、JR神戸各線での117系の運用縮小に伴い、岡山に転出・編成短縮された117系のモハを115系に改造編入したもの。モハのみ存在し、他の番台のクハと編成を組んでいる。
改造とは言え、ジャンパ線の115系との共通化などのごく小規模にとどまっているため、外観は117系のモハユニットそのままである。
115系のモハユニットとは異なり、台車がDT32(115系はDT21)であること、パンタグラフがモハ115-3500の東京寄りに設置されていること、方向幕の位置が高いこと、室内はモロに117系であることなど、判別は比較的容易である。
△先頭はクハ115-3118。広島方面に向かっている。
前から2両目のモハ115にパンタグラフが搭載されている。