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ミツC501/飯田橋駅

△500番台のトップナンバー。うーん…まるで模型のようなアングルだ。

 

 209系は、首都圏の老朽化した103系の置き換え用として、JR東日本が投入した通勤電車である。「重量半分・価格半分・寿命半分」をコンセプトに開発され、大幅なコストダウンを実現した。また、軽量化を図ったことで省エネルギー化にも貢献している。

 

 209系で掲げられた車両設計の思想は、JR東日本のその後の電車にも受け継がれていくことになる。しかし、「寿命半分」はネタではなくマジであり、0番台に至っては登場からわずか17年で廃車となることになった。早すぎる引退劇は使い捨てカメラに例えて「走ルンです」の称号を得てしまった。


●0番台

 0番台は、1993年に登場した、本形式の量産車で、浦和電車区と中原電車区に配置され、それぞれ京浜東北線と南武線で活躍した。

 京浜東北線の車両は試作車とは異なり、6ドア車を連結したため、前面には「6DOORS」のステッカーが貼られていた。

 登場から17年目にあたる2010年1月24日を以って、京浜東北線から撤退し、廃車回送された。ただ、一部の車両は訓練車や他の番台に改造されて運用されている。

 

 なお、晩年の京浜東北線車は機器の故障が頻発していたようで、その部品の生産も終了していたことから、機器更新などを行わずに廃車となった車両も多い。

ウラ14/品川駅

△在りし日の209系京浜東北線。

軽量過ぎて、末期には壁がベコベコになったものもあったらしい。


●500番台

 中央総武緩行線の103系を置き換えるために登場した。0番台よりも車体幅が拡大されており、外観はE231系そのものだが、集電装置(パンタグラフ)の向きと窓割りの配置がE231系とは異なる。一部の車両は0番台と同じ菱形パンタグラフだが、1999(平成11)年増備車からはシングルアームパンタグラフを装備する。

 

 当初は中央総武緩行線に集中投入されたが、209系の中でも特に転属が多いグループである。京浜東北線はE233系の増備により撤退済み、京葉線もE233系の増備により武蔵野線に転属している。500番台始祖の地、中央・総武緩行線では、E231系に交じってひっそりと(というほどでもないが)走っている。

ミツC505/秋葉原駅ウラ83/大船駅

△(左)中央総武緩行線の500番台。珍しいかと思ったら、そうでもないようで私がカメラを向けるとコイツばっかり来た。

△(右)京浜東北線車。前面のデザインも変更されており、上の0番台とは印象が大きく異なる。

 

ケヨ34/千葉みなと駅

△京葉線の500番台。この後、E233系の投入によってすぐに武蔵野線に転属したが、写真のケヨ34編成はいまだに京葉線にいる模様。


●2000番台

 209系0番台の廃車によって誕生したグループ。廃車予定編成のうちの一部は、JR東日本千葉支社の113系の廃車と211系の豊田区への転出を目的に改造された。近郊型仕様のはずなのだが、シートは相変わらず硬い。空気式ドアエンジン装備車は2000番台、電気式ドアエンジン装備車は2100番台を名乗るが、両車に外観上の差異はない。

 帯色が黄色と水色の「千葉色」に変えられているほか、転出の際にスカートの交換、VVVFインバータの制御素子の変更(GTO素子→IGBT素子)などが行われている。

マリC417/木更津駅

△新天地で活躍する元0番台。この先何年使うのだろうか…。


●3100番台

 2005(平成17)年に川越線・八高線に登場した、209系の変わり種。川越線・八高線の103系を置き換える際に、予定していた205系3000番台が埼京線の増発編成に充てられてしまったため、東京臨海高速鉄道70-000系の余剰車を改造して誕生した。第三セクター車がJRに転属した最初の例である。

ハエ72/八王子駅

△電留線で憩う3100番台。

209系を基本にして設計された70-000系がここまで209系と似ていることを証明してくれた。